学長ブログ
2008.07.03
ダーウィン展
来年はダーウィンの生誕200年ということで、世界中でいろいろな企画がなされています。その1つとして先週末まで国立科学博物館でダーウィン展が開催されておりましたので、先日行ってきました。
昆虫少年だったダーウィンは父のすすめで医者を目指していましたが、麻酔なしで手術される患者を見て逃げ出してしまいました。それならば牧師なら良かろうということで、父の再度の勧めでケンブリッジ大学へ移りましたが、たちまち地質学と植物学にのめり込むことになります。もっとも、これがビーグル号に乗れる縁になっています。
ダーウィンにとって幸いだったことは、お金の心配をする必要が無かったことでしょうか。父親は医者、母親はウェッジウッド家(陶器の会社で有名)出身であり、また彼の奥さんもウエッジウッド家の一族です。さらに、ビーグル号の乗船に反対だった父を説得したのも母方のおじでしたから、ウエッジウッド家の支援なしには“種の起原”も無かったかもしれません。
なお、彼は結婚の際、大変迷ったようで、結婚のメリット、デメリットをリストアップし(一覧表が展示されていました)結局、結婚をとったようです。私は小さいころ北海道で過ごしましたが、白い花の咲くニセアカシアの木があちこちにあり、その長い葉柄に付いたたくさんの葉を“大好き”“大嫌い”と一枚ずつとっていった、子供時代の遊びを思い出しました。
5年間に及ぶビーグル号の航海で収集した資料等から、すでにある程度有名になっていたダーウィンは結局牧師の職に就くことも無く、ロンドン郊外に居を移し、資料の収集と思索に何十年も没頭することになります。体があまり丈夫でなかった彼は朝の散歩から始まる規則正しい生活を続けていましたが、その間、彼の進化論を裏付けるため、イヌ、ハト、フジツボ等々ありとあらゆる動植物を観察し、膨大な記録を残しているのに驚かされます。
しかし、ヒトは神が創造したという教会の教義との衝突を恐れて、20年間もじっと我慢し発表を控えていた彼が、若きウォレスが類似の説を発表すると知ったときどんな心境だったのでしょうか。科学の世界では1番と2番では全く違います。“どうして、もう少し早く発表しておかなかったのか”、“20年間の努力がすべて無駄になるのではないか”、そんな恐怖に襲われたのではないかと思います。幸い、この件は2人が同時に発表することで落着しましたが。
いずれにしましても、彼が明らかにしたように、あらゆる生物は突然変異により、常にある程度のバラエティを保持しており、環境が変化すると、その中で有利なものが生き残っていくという、適者生存の原則が厳然として生物界に存在しています。
先日、6月28日(土)に本学の大学開学式を挙行いたしましたが、大学も適者生存の原則から逃れられないのかもしれません。ダーウィンは“生き残るために必要なのは強さでもなく、賢さでもなく、変化に対応する能力だ”と言っております。大学も時代の要請にこたえて進化するためには、私たちが常に自己変革していくことが何より大切なことなのでしょう。
