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荻外荘(てきがいそう)

更新日:2013年04月15日

荻外荘(てきがいそう)といわれても、荻窪に住んでいる方でも意外に知らない人が多い。しかし、少しでも歴史に興味を持つ人にとってはよく知られた近衛文麿氏の別荘で、戦後処理が話し合われた場所であり、そして戦犯とされGHQに召喚される日に服毒自殺された場所でもあります。

荻窪駅の東南にあたる、善福寺川に臨む小高い丘の上は、往時、別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と喧伝されたこともあり、現在でも大きな屋敷がぽつんぽつんとまだ残っています。しかし、世代交代が進むたびに、小さな家に分割されるか、中規模のマンションに変わっていくのを見守るのは悲しいことです。

荻窪にはいわゆる名士の邸宅というのがいくつか在ります。杉並区では遺贈あるいは購入した旧居を整備し、公園等として保存に努めています。私が小さいころのラジオ番組“話の泉”でよく知られていた音楽評論家大田黒元雄氏の広大な旧居は彼の洋館も含めて、立派な庭園として整備されました。入り口から庭園にいたるまでの長い道、両側に高く聳えるイチョウ並木は見事であり、また秋の紅葉もすばらしく、紅葉の時期にはライトアップされ、訪れる人が多く、今では荻窪の名所となっています。また、角川源義氏(角川春樹氏の父上)の旧居も遺族から寄贈を受け、室内等を改装のうえ“幻戯山房(荻窪詩歌館)”として、俳句や短歌の集い等によく使われているようです。庭園はあまり広くありませんが一般公開されています。

一方、我が家から10分もかからないところに与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻の旧居跡があります。以前は南荻窪中央公園といわれていましたが、昨年杉並区がリニューアルし、歌碑や案内板がいくつも作られましたが、残念ながら門柱のレプリカに与謝野公園と掲げられている以外旧居の面影はありません。また、これも歩いて5分くらいのところに、二・二六事件の際、青年将校によって命を奪われた渡辺錠太郎氏(当時陸軍教育総監)(余談ですが次女渡辺和子さんの著書“置かれた場所で咲きなさい”が目下ベストセラー中です)の旧居があったのですが、保存運動の甲斐もなく、いまはマンションとなり当時の面影は全くなくなりました。

さいわい、近衛邸は杉並区が買い取り、屋敷の一部を保存し、庭園も整備して開放するとのことで楽しみにしています。すでに、門前には鎖がかけられ、“杉並区管理物件”の札がかけられています。裏側の低地の場所は貸し駐車場として使われていましたが、車もすっかりなくなっています。歴史の一頁がめくられるということで、やむを得ないことでしょうが、立派な門構えの門柱に高々と掲げられている“近衛”の表札がもうすぐ消えてしまうのかと思うと一抹の寂しさを感じます。